鹿角のいいこと

鹿角でシカ、会えない人⇒ 道の駅かづの「あんとらあ」 岩船屋(いわふねや)・岩船正子(いわふねまさこ)さん(80歳)

鹿角でシカ、会えない人⇒ 道の駅かづの「あんとらあ」 岩船屋(いわふねや)・岩船正子(いわふねまさこ)さん(80歳)

「お客さんと会話するのが1番楽しい。鹿角に来てくれた人への、おもてなしだもの」

 

鹿角の道の駅「あんとらあ」。

ここは、日本三大ばやしのひとつである「花輪ばやし」の豪華絢爛な屋台を展示した「まつり展示館」、鹿角の伝統に培われた食品(きりたんぽ、山子たんぽ、南部せんべい、しそ巻き大根)、工芸(わら細工、伝統玩具)の製造を間近で見ることができる「手作り体験館」、
さらに観光物産プラザ、レストラン、農産物直売所など、さまざまな鹿角の魅力を知ることができるスポット。

平成7年から道の駅として登録されたが、それ以前から観光客を迎え入れる、鹿角市観光の玄関口として親しまれてきた。

駐車場に車を停め、一番先に目に飛び込んできたのが「みそつけたんぽ」「きりたんぽ鍋」という文字。

軽食を販売している売店から、甘味噌が焦げた香ばしい香りが漂ってくる。

 

明るくて愛嬌たっぷりの笑顔。思わずこちらも笑顔になってしまう。 明るくて愛嬌たっぷりの笑顔。思わずこちらも笑顔になってしまう。

 

「農業より難儀なことはない。なんだって耐えられる」

 

愛嬌たっぷりの笑顔が印象的な看板娘、岩船屋(いわふねや)のお母さん・岩船正子(いわふねまさこ)さんは、今年80歳。
岩船屋は、漬物の加工製造、缶詰・瓶詰加工、販売事業を行う正子さんとご主人の2人で始めた会社。現在は息子さんが代表を務めている。

 

「主人も私も農家出身。私は高校生までは実家の農作業を手伝っていたけど、あくまでもお手伝い程度。その当時は農業の辛さなんて全然わからなかった。
高校を卒業してすぐに主人と結婚して、本格的に農作業をやることになったんだけど、当時は今のように機械がなかったから、田打ちや田植え、草取りだって全部手作業。本当に大変で『農業やるくらい難儀するなら、なんだって耐えられる』って思った」と当時を振り返る。

「田んぼだけでなくて、果樹もやっていました。りんごや梨を作って、冬場はそれを車に積んで、販売していたんです。主人が車で周るうちに、販売先の人たちから『こういう商品、食材はないか』と相談されるようになって、缶詰を始めた。それも経験がないから、全部自分たちで試行錯誤して。失敗ばかりで本当に大変だったけど、農業に比べれば…(笑)」。

 

次第に地元の人が採ってくる山菜を買い取って、缶詰加工して販売するようになった。
正子さんは「ずっと農家に入って、農作業を続けていくというのは考えられなかった。昔から好奇心旺盛で、いろんなことをしてみたい。いろんな人に会ってみたいという気持ちが強かったんです」と笑う。

 

たけのこや山菜、キノコの瓶詰・缶詰の商品も売店で購入できる。 たけのこや山菜、キノコの瓶詰・缶詰の商品も売店で購入できる。

 

東京で「鹿角流」のおもてなしを。

 

40年ほど前から、鹿角のものをPRするために行われていた首都圏での物産展に赴き、実演販売を行うようになった。

 

「はじめは池袋の東武百貨店。鹿角市役所が主催している物産展でした。そのうち全国商工会連合会主催の『ニッポン全国むらおこし展』に出展するようになって。私は東京に行ったこともなかったので、どうしても行ってみたくて(笑)」。

 

東京での催事に出展し、さまざまな人たちとの交流をした正子さん。
お客さんとの顔を合わせた接客は、何よりの刺激となった。

 

何年も前から東京でのイベントで販売をしていたのが「岩船屋のみそつけたんぽ」。
今年このみそつけたんぽが「全国おやつランキング」で堂々の3位を受賞した。
全国47都道府県から、選りすぐりのおやつが出展された中での3位だ。

 

「うちのたんぽはあきたこまち100%。なかには、繋ぎに片栗粉を入れたりする業者さんもいるらしいけど、うちはお米だけ。
焼くのは手作業で、一日に2000本くらい作るんだよ」。

 

なれた手つきで自家製の味噌だれをハケで塗り、炙る。 なれた手つきで自家製の味噌だれをハケで塗り、炙る。

 

正子さんは説明しながらたんぽを取り出し、目の前で甘味噌をたっぷりと塗って、焼いてくれた。

 

「味噌は地元の味噌。それに砂糖。割合は企業秘密(笑)。昔はくるみをいれたんだけど、いまはアレルギーの問題があるから、くるみは入れられない」とちょっとさみしそうに話す。機会があれば、くるみ味噌のたんぽも食べてみたいものだ。

 

直火で炙られたみそつけたんぽは、ちょっと焦げ目が付いていて、食欲をそそる。
もちろん、ただよってくる香りも重要な要素だ。

 

「最近、都会の展示会では焼く場所がしっかりと囲われてしまって、この匂いが閉じ込められてしまう。
お客さんとの会話も難しいし、残念。『これだば、ちゃんとお客様をおもてなしできねす』って今年も言ってきた(笑)」。

 

こんがりとした焼き上がり。甘味噌の焦げた匂いがたまらない。 こんがりとした焼き上がり。甘味噌の焦げた匂いがたまらない。

 

正子さんに手渡されたみそつけたんぽを、口に運ぶ。
思ったよりも柔らかく、ふんわりしたたんぽだ。甘味噌とのバランスも絶妙。
味噌の香ばしい香りが鼻に抜けて、優しい気持ちになる。

 

「食べてくれた人はみんな、おいしいねぇって笑顔になってくれる。毎年買いに来てくれる人もいて『今年も来たよー』って喜んでくれる。秋田のきりたんぽを知らない人もいっぱいいるし、食べて『おいしいねぇ!』って行ってくれるのは嬉しい。『味噌つけきりたんぽください』って言われるから『これはきりたんぽじゃなくて、たんぽなんですよ。たんぽを切って鍋に入れるからきりたんぽ鍋っていうんです』ってお話したり。そういうお話と、みそつけたんぽでおもてなしをしてきました」。

 

 

焼きながら、昔の鹿角の話をしてくれる正子さん。奥にいるのは姪御さんのるり子さん。「高校のころからお母さんにお世話になってるの。お母さん、何でもできるんだから。踊りも唄も上手なのよ」と、正子さんの武勇伝を教えてくれた。 焼きながら、昔の鹿角の話をしてくれる正子さん。奥にいるのは姪御さんのるり子さん。「高校のころからお母さんにお世話になってるの。お母さん、何でもできるんだから。踊りも唄も上手なのよ」と、正子さんの武勇伝を教えてくれた。

 

これからは、自分のやりたいこともやってみたい。

 

約40年ほど前、鹿角の町は活気に満ちあふれていた。今では道を行き交う人の数も減り、特に若い人の姿が減ってしまった。
それでも正子さんは鹿角の魅力を伝え続けている。

昔は鉱山で栄えた町で、大勢の人たちで賑わっていた時代があったこと。そこで生まれ、受け継がれている文化があること。県外へ出向き、その鹿角の魅力を伝え、知ってもらう。

 

 

今年、長年連れ添ったご主人が6年の闘病生活を経て他界。やはり寂しくなったと言いながらも、これからまた頑張りたいと前を向く。

 

「まだやってみたいことがあります。お店に立つことは好きだし、お客さんと交流するのも好きだけど、
これだけ働いてきたから、もう少し自分のやりたいことをしてみたい。もともと登山も好きだったし、膝悪くしてしまったから大きい山は無理だけど、高尾山に登ってみたい。東京に孫たちもいるし、一緒に登れたら」。

 

80歳を越えても、まだまだ現役。正子さんの瞳は、これからの希望に満ちあふれている。

 

「全国おやつランキング2015」で貰ったトロフィーを持って。 「全国おやつランキング2015」で貰ったトロフィーを持って。