鹿角のいいこと

鹿角でシカ、会えない人⇒ スナック寿賀 浅石シガさん(80歳)

鹿角でシカ、会えない人⇒ スナック寿賀 浅石シガさん(80歳)

スナック寿賀 浅石シガさん
鹿角市出身。1969年に「スナック寿賀」をオープン。平成24年には鹿角市から「食文化の保存、継承に貢献した」として一般表彰されている。

 

 

ディープな鹿角の夜を彩る、80歳のママ。

 

例年なら、深い雪に覆われているはずの鹿角市花輪。花輪の繁華街・親不孝通りで、ひと際情感たっぷりに、藤色の看板が浮かぶ。
「スナック寿賀」のトビラを開くと、真っ先に目に飛び込んできたのは、しゃんと背筋を伸ばした和服姿のママだった。左手のカウンターの中で、こちらに向かって「あど待ちくたびれたで!」と叱咤の声を上げてはいるが、笑顔で迎えてくれた寿賀ママこと浅石シガさんだ。
店内は場末(失礼)のスナック感がたっぷり。カウンターの反対側には畳敷きの小上がりがある。
「5時には来るっていうから、3時ってば店あげてまったったのに」と、何度か訪れたことのある馴染みの客へ恨み節を言いながら、初めて入ったお客にも疎外感を与えることなく話しかける。こちらが予定時間をオーバーして(わかりやすくいえば遅刻して)登場したことを何の躊躇もなくあっけらかんと責めながら、次々とおもてなしの用意を進めていく。その手際の良さは尋常じゃない。
「あどババ待ちくたびれて、先にのんだった!(すっかり待ちくたびれて、私はもう飲み始めてました!)」と、生ビールのジョッキを掲げて笑う。その笑顔は最高にチャーミングだ。

 

「このひと手間がババの愛情よ。料理は愛情。手抜きはなし!」
02葉わさびこれが「めんこい子」限定メニュー。葉わさびと酒粕、かずのこの和物。

 

「かわいい子にしか食べさせない」(厳密には秋田弁で言っているのだが、ここはわかりやすく標準語で)と言いながら、小さな赤い小鉢に入った器の蓋を取る。そこには、葉わさびと数の子を酒粕で和えたものが入っていた。
「いただきます」と、早速箸でひとすくいして食べようとすると
「そんたに一気に食べればかれがら!」(そんなに一気に食べたら辛いから!)と止められた。慌てて少しだけ口に運ぶと、酒粕の甘さの中にツンとした葉わさびの辛さを感じる。かずのこはプチプチの食感でクセになる。たしかにママの言う通り、後味は辛い。思わずお酒が進む味だ。
「この葉わさびも、ババが自分で採ってきたんだ。採ってきてから、細かい泥とか土を水で流して、絞って刻んで。これを作るのに数日手間暇かけてる。だからめんこい子にしか食べさせたくないの」。
カウンターに用意されていた食べ物は、すべて寿賀ママの手作り。手作りなだけでなく、山菜はすべて自分で採ってきたものだ。
山菜の旬といえば春。今は真冬なのに、不思議なほど旬の食感を楽しめるわらびは、寿賀ママが春先にとってきたわらびを塩蔵したもの。毎日水を変えて手間をかけることで、まるで採れたばかりのわらびのようだ。そのわらびの下処理のレベルの高さに舌を巻いていると、追い打ちを掛けるような事実を披露してくれた。

 

03わらび料理
04わらび塩蔵お皿に盛りつけられたわらびは、それぞれに隠し包丁が。塩蔵されたわらびを戻したとは信じがたい美味しさ。

 

「ほれ、これみてみな」と、長くカットされたわらびの真ん中に、隠し包丁が入れられている。味が染み込みやすく、食べやすくする。短く切ったわらびよりも、柔らかさを感じられる食べ方だ。
「このひと手間がババの愛情よ。料理は愛情。手抜きはなし!」
手間をかけて、手を加えて、よりおいしく食べさせたい。そんな気持ちが伝わってくる。

 

自分で採った山菜を、自分で処理して料理する。
05りんごスチューベン
06古漬けと大根スチューベン漬物のレパートリーは数知れず。着色料も使いたくないため、ぶどうで色を着けた漬物を出してくれた。

 

山菜のシーズンは、閉店時間が何時であろうと3時半には起きる。そして、山菜を取りに友人たちと近くの山に向かうという。
「今は山のことを知る人が少なくなってる。山菜は欲を出さないで無理しないことが1番、上手に採る秘訣」と教えてくれた。
山菜の料理だけではない。器に盛られた漬物は、どれも自分で漬けたもの。
きゅうりの古漬けや大根の漬物、パプリカとチンゲンサイの浅漬。驚いたのはりんごと大根はスチューベン(ぶどう)で漬けてあって、色も鮮やかだし甘みが絶妙。思わずパクパク食べてしまう。
数年前、鹿角市教育委員会がさまざまな分野の名人に講師を依頼した企画があり、寿賀ママは食文化を教える「こだわり先生」を務めた時期がある。山菜の食べ方や漬物の漬け方など、今では鹿角でもだんだんと知る人が少なくなっている郷土料理の作り方を小学生やその親に向けて教えていたという。
寿賀ママの料理には「鹿角の食文化」が感じられる。鹿角でなければ食べられない、食べさせることができないものを大切にして、お店で提供している。そして、それだけではなく「よりおいしく食べさせたい」という姿勢が「鹿角の母さんたち」に代々受け継がれてきた“食文化”なのだ。

 

「46年間、365日。お店に出る日は必ず着物!」

07しょっつる汁旬のハタハタを使った「しょっつる汁」をタイミング良く出してくれた。身も心も、ほっとする。

 

スナック寿賀は、1969年にオープンした。今年で47年になる。約半世紀の間、毎日着物を着ているという。その和服姿で颯爽と動きまわり、お客への気配りの仕方や手際の良さに、まったく歳を感じさせない。
「お店に出る日は必ず着物を着て出る。お店オープンしてから47年間、365日」
と、胸を張って言い切る。
ママは19歳でこの世界に入った。それは鹿角や隣の小坂町に鉱山や銅山があり、多くの人が居た時代。町は賑わい、お店も繁盛していたころだ。当時の鹿角や小坂の話を、寿賀ママから聞くのはとてもリアルだ。なぜかその当時の空気をまとっていて、知らないのに不思議と懐かしいような気持ちになる。
だから、ここでママの昔話を披露してしまうのは、非常にもったいない。ぜひ、寿賀ママから直接、当時の話を聞いてもらいたい。そしてなぜ、今寿賀ママが愛情いっぱいに来る人たちを出迎えてくれるのか。寿賀ママの愛情たっぷりの手料理とお酒、そしてママの話はここでしか体験できないのだ。

 

08すがママ02人を惹きつける魅力がいっぱいの寿賀ママ。また、会いに行きたい。

 

「ババは今年80歳。でも今日より若い自分はいないからね」
まだまだ現役。元気いっぱい。一日一日を大事に、寿賀ママは今日も店に立つ。