鹿角のいいこと

鹿角でシカ、会えない人⇒ アートフォルム・橋野浩行(はしのひろゆき)さん

鹿角でシカ、会えない人⇒ アートフォルム・橋野浩行(はしのひろゆき)さん

アートフォルム有限会社 橋野浩行氏
秋田県鹿角市に生まれる。障がい者施設で社会復帰プログラムの一つとして木工技術を教えることで、木工芸の道へ進む。1984年「北のクラフト協会会員」となり、1991年に「AKITAアートフォルム」を設立。斧折樺と呼ばれる貴重な材料を使った靴べらセットやひねり髪すきなど、オリジナリティー溢れる商品作りを行っている。2005年には日本橋高島屋を通じて、靴べらセットが宮内庁御用達となる。現在は海外の展覧会などに積極的に参加している。

 

 

鹿角市十和田大湯。木々に囲まれた家がひっそりと佇んでいた。鹿角在住の工芸家・橋野浩行さんの自宅である。人里離れたこの地で、橋野氏は「斧折樺(おのおれかんば)」という、その名の通り斧が折れてしまうほどの堅さで、水に沈むほど比重がある落葉高木を使った木工品の制作を行っている。斧折樺は過酷な環境で生きるため、年に0.2mmしか太くならないという日本の樹木。現在ではほとんど採れない、大変希少価値の高い木材だ。

 

橋野氏が作り出す作品は、思わず手を伸ばし、その滑らかさと木のぬくもりを確かめたくなるようなフォルムと艶やかな色合いが魅力だ。斧折樺を切り出し、丁寧にヤスリを掛けてその滑らかさを生み出していく。使う人の気持ちになって考えぬかれたデザインは、使いやすさだけではなく、人の気持ちを豊かにさせるものだ。

 

IMG_1706橋野さん制作の「ひねり髪すき」。頭の形に沿うよう、ひねった形状になっている。

 

 

世界にひとつしかないモノを創り出すこと。

もともと鹿角出身で大工だった橋野さん。障がい者施設で障がい者の社会復帰プログラムの一つとして、木工技術を教えるようになり、木工芸の道へ進んだ。
「施設では、ノーマライゼーションとしてそういった活動を行っていたのだけど、あくまでも障がい者施設の名前でその作品を販売していたんです。私は、それは施設の名前を語ることで、可哀想な人たちを助けてくださいというメッセージを発信しているように思え、本来のノーマライゼーションではないと感じ始めました。だから、彼らの個人名で販売しましょうと。でも、それは認められず、方向性の違いを感じて辞めてしまいました。その後、家具会社に入社、デザインとマーケティングに関して学んで行くのですが、NC加工機の導入(コンピューターによるものづくり)を依頼され、手作りを続ける事を貫くことにしたのです。それが20年ほど前で、生まれた鹿角に帰ってきたことにもなります」。

 

橋野さんはさらに続ける。
「その間、いろんなモノを作り上げてきたけれど、オリジナルが生まれて来ませんでした。酒を飲み、些細なことに敏感に反応しました。苦悩の時代が続いたことも事実です。伝統的産業品や美術の学校を出ているわけでもないのだから学歴社会の日本では険しい道なのです。しかし、創り続ける事で技術は磨かれ、その鮮度は上がっていきます。創ったら売ることを、創ったら先に保護することにしました。意匠登録、商標登録、実用新案、特許取得をしました。この考え方が私の人生を変えていきました。」

 

自分の手で作り出すこと。技術屋であること。鹿角に帰り、知り合いの大工さんに手伝ってもらって、自宅と工場を自らの手で建てた。周りの人たちには、なんで帰ってきたのかと、訝しがられた。
「農家でもないのに、職もなくてどうやって生活するつもりなんだろうと。ここに帰ってきたのは、間違いだというふうに見られていたんだと思います。でも、間違いじゃない。場違いなんです」。

 

人は逆境の中でモノを生み出す。場違いな人が生まれたときに、モノが生まれる。橋野さんは鹿角に戻り、その「逆境」で商品を生み出した。それが宮内庁御用達となった、靴べらだ。
伸びやかで、なめらかなフォルム。靴を履く際に、かがまずに使うことができる長さは、考えぬかれたうえでのデザインだ。小さな木靴の形をしたスタンドとともに、玄関先のオブジェとしても成り立つように造られている。
「絶対に誰にも真似できないようなものを作ることが、私の仕事だと思っています。技術屋というのは、人に技術を見せたくない。ほかの人が作れないものが世に出る、他の人には作り方がわからないからオンリーワンなんです。だから売ることができる。カルチャークラブの先生は、人に教えますよね。あれは、そのものが売り物ではないからです。モノが良ければ人が買うんです」。

 

IMG_1708事務所には、さまざまな作品が並べられている。すべすべの木の肌触りが心地よく、思わず手を伸ばしてしまう。

 

鹿角は生まれた場所。だから、ここにいるんです。

橋野氏は鹿角を拠点に制作を行う傍ら、積極的に自らの商品を売り込むために、国外、とくにニューヨークに赴いている。日本での販売を強化するより、世界市場で戦い、結果として日本でも認められたいと考えているのだ。

 

「海外の人と交流するために、本来ならば言語が必要です。でも、モノづくりをする人間は、モノで交流ができるんです。たとえばこの『ひねり髪すき』は、日本では『なんで曲がっているの?』などと質問されたりしますが、ニューヨークの展示会ではそんな質問をする人はいない。モノを通じてのコミュニケーションが可能なんです。
私の代で終わるならば、海外へ行く必要はない。でも、そうでないのであれば、きっちり海外の現状を把握し、海外のアーティストたちとの交流をして、後の人間にバトンタッチするべきだと思いました。だから、元気なうちに行かないと(笑)」。
積極的に海外へのアプローチを行っていることを聞くと、より一層、ひとつの疑問をぶつけたくなった。

 

──なぜ、鹿角にいるんでしょうか?
「ドイツに行って修行してきた友人が、北海道と秋田にチーズ工場を作りました。いまは亡き親友が見せてくれたのは開拓地・北海道のありようでした。広大な原野にポツンとそれぞれの技術を持った工房がある。創り出すモノに向き合い、集中し完成させる。創り上げたモノを介して出会いが生まれていく。」
橋野さんはやる気とアイディンティティーがあればモノづくりで生活は出来ると断言し、自然環境豊かな鹿角にいる理由を続けた。

 

「たくさんの人と会いたいという人は、自分がわからないから自分を確認するために人と会うのです。でも、自分のやることが決まっていて、何をしたいのか、何が好きなのかを考えるためには、孤独なほうが絶対にモノを作れる。人里離れたこの場所で、私はモノづくりに集中できます。なんで北海道じゃなくて鹿角なのか、と言われたら『鹿角生まれだから』ということ。とはいえ、秋田のもの、鹿角のものを使うということにこだわる必要はないと思っています。それよりも、求められているのは『世界の中で貴重なモノ』。世界の中で、人が求めているものを作れるようになったら、面白いですよね」。

 

 

個人としての思いや考えを貫いて、対等な関係を築く。
それが真の価値を伝えた販売に繋がっていく。

IMG_1677橋野さんが制作した箒を使ったオブジェ。「箒って食べられないでしょう? 食べられない農業という考え方も有りかなと思います」

 

 

 

一般的には、作る人と売る人は異なっていることが多い。橋野さんの場合は、どちらも自分で行っている。
「本来、モノを作っている人は自分の作ったものを売りにくい。特に東北出身者は控えめで、アピールが下手だといわれます。とはいえ、最近は『作っている人と会いたい』という人も多くなってきています。その中で、価値を理解してもらうためのコミュニケーションの取り方を身につけなくちゃいけない。私は大阪でコテンパンに打ち砕かれました(笑)。でも、そこには文化の違いがあります。秋田は食べるものに恵まれ、京からの文化も入ってきた場所。東日本と西日本では、そもそもの文化が異なります。なぜ違うのかを知ることで、戦えるようになるんですよ。私が私としてのアイデンティティーを持てるかどうかが問題で、売り込み方、切り返し方も楽しめるようになると思います」。

 

値付けの仕方というのも、ひとつの難しい問題でもある。安ければ買うという人も中にはいるのかもしれない。だが、本当にそれでよいのか。
「自分の作ったものの価値、それを理解してくれる人に買ってもらえば良いと思っていますよ。安売りすることがいいことではない。買い手も売り手も、それぞれにメリットがあるべきだと思います。それを作り上げるためのデザインとは、ただ姿形を考えるだけのものではなくて、そこに至るプロセスも含めてデザインだと思っています。それらに対する対価として、代金をいただく。欲しいという購買意欲を掻き立てるために考えぬかれ、造られた『世界にひとつだけのモノ』に対しての対価ですよね」。どこに売るか、誰に売るか。デザインの価値を考え、問題提起してゆきたいと、橋野さんは語る。

 

購買とは、問題解決行動である。どうしたら問題が解決できるのかを突き詰めることは、商品開発の基本である。柔軟に、フレキシブルにものが考えられる人こそ、新たなものを生み出す力を持っていると橋野さんは言う。
「子供が、上に何があるのか見ようとしてつま先立ちする。『あっ!』っていう瞬間って大事ですよね。そういうのをそれぞれが大切にしたら、街はキラキラし始めるはずです。こういうことを大事に考えていったら、鹿角はもっと面白くなりますよね。ワクワクできるはずです」。

 

IMG_1718工房に伺うと靴べらの入れ物が削りだされていた。ここから手作業で磨き上げられていく。

 

 

橋野さんは、最後に工場を案内してくれた。ほっとするような木の香りがただよく工場を出たときに、橋野さんは清々しい表情で私たちに言い放った。
「これ、新宿じゃできないでしょ(笑)。鹿角だから、いいんです」。

 

 

※本稿をまとめている途中で、橋野さんから弾んだ声で連絡が入った。
おもてなしセレクション2016を受賞しましたよ!」

 

鹿角でシカ、できない仕事が、日本中へ、そして、世界へ。橋野さんの冒険は続く。

 

 

IMG_1713暖炉の前で、橋野さんはにこやかにそして熱く語ってくれました。