鹿角のいいこと

鹿角でシカ、会えない人⇒ TOKOYA末廣 佐藤清美さん(72歳)

鹿角でシカ、会えない人⇒ TOKOYA末廣 佐藤清美さん(72歳)

TOKOYA末廣 佐藤清美さん
鹿角市出身、72歳。鹿角市花輪で理容店「TOKOYA 末廣」を経営する傍ら、30年以上前から独学で仏像彫刻を製作。その作品が文化の杜交流館「コモッセ」で展示されたことも。

 

子どもの頃、目に焼き付いていたのは
大人たちの粋な浴衣姿だった

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10の屋台の競演。地元の人はもちろん多くの観光客が訪れ、華やかな賑わいを見せる。

 

十和田八幡平の雄大な自然に抱かれ、古くは金や銅の産地として栄えてきた秋田県鹿角市。
この町に、日本三大ばやしのひとつとして評価されている夏祭り「花輪ばやし」がある。

 

「昔から、花輪ばやしは町民にとっての一大イベント。仕事よりも祭りを優先させてきたし、私たちにはそれが当たり前でした」。
 

そう話すのは、鹿角市花輪で理容店を営む佐藤清美さん(72歳)。小学校入学前から祭りに参加し、数え42歳で引退するまでの30年間以上、花輪ばやしに携わってきた。
 

「小さい頃、じいさんに背負われながらお囃子の音を聞いていたので、自然と耳についていました。祭りのとき、浴衣を着て颯爽とお囃子を奏でるじいさんの姿が、粋で格好良くてね。兄弟4人全員が『あんな風になりたい』と憧れていたんだ」。
 

都会で生活している子どもたちは、こうした親や家族の姿を見る機会は少ないだろう。しかし、花輪のように祭りの伝統が深く根付いた地域は、大人たちのいつもと異なる姿を目にするのが日常なのだ。
 

「この地域では、学校や家庭以外に『祭りが人を育てる』ということがある。上下関係や挨拶などは、祭りの中で先輩や大人たちから学ぶことが多い。だから祭りを経験した子どもは、物を頼むと素直に従う。しっかりした子が多いですよ」。

 

町境を制する者は、祭りを制す。
交渉の際に繰り広げられる頭脳戦

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町境での交渉時には、言い争いになったり、屋台をギリギリまで近づけ合うほどエスカレートすることも。

 

きらびやかな屋台や賑やかなお囃子もいいが、町境での交渉事にも祭りの見どころが隠れていると佐藤さんは話す。
 

「屋台が別の町内を通る際、通行許可を取るために町境で互いの屋台が向かい合い、『お通し願います』『どうぞお通りください』と挨拶が交わされます。そうしないと、通してもらえない。ときには『ちゃんと挨拶していないじゃないか』と難癖をつけて、喧嘩状態になることもある」。

 

交渉がうまくいけば、迎える側の屋台が乗り込む側の屋台を迎えに行き、進行方向へくるりと向き直って町内を先導する。佐藤さんが、興味深い話を教えくれた。
 

「私が交渉役をしていたときのこと。隣町を通るときに、挨拶をして頭を下げたが、相手側から『頭がちゃんと下がっていないじゃないか。やり直せ』と言われた。そこで私は『どうして頭を下げていないのが分かったんだ。お前こそ下げていないということじゃないか』と返したんだよ。そうしたら、相手も『こりゃ、一本取られた』というような表情で屋台を回しはじめたんだ」。

 

まるで落語でも聞いているかのようなエピソードだ。祭りの際だけに許される屁理屈、面子、意地の張り合いも花輪ばやしの見どころだと思われる。20日未明に行われる朝詰では、たびたび町境の挨拶がこじれ、屋台をギリギリまで近づけたり、お囃子合戦をしたりと、荒々しい祭りの一面を見ることができる。

 

こうして毎年盛り上がりを見せる花輪ばやしだが、実は年々、人手不足が問題になっていると佐藤さんは話す。
 

「私たちの使命は、この貴重な祭りを絶やすことなく後世へと伝えていくこと。そしてその想いを、若者たちへと引き継いでいくこと。すでに祭りを引退した身ですが、これからも違った形で見守っていきたいです」。
 

短い夏の終わりを告げる、賑やかな祭り。その裏側には、花輪の人たちの熱い闘志や、伝統を次の世代へ伝えていくための切なる想いがあった。

 

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