鹿角のいいこと

恋する鹿角新聞 人気コラム「寿賀婆に聞け!」②

恋する鹿角新聞 人気コラム「寿賀婆に聞け!」②

恋する鹿角新聞で連載中の人気コラム「寿賀婆に聞け!」。取材陣がスナック寿賀を訪れ、御年80歳を過ぎた寿賀婆(本名:浅石シガさん)に話を伺っています。
※寿賀婆についてはこちらもご覧ください。

 

今回のお題「なぜ寿賀婆はいつも、ポジティブなのか。」

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ある日のスナック寿賀。この日も艶やかな着物姿でカウンターに立つ寿賀婆。ここは開口一番に彼女が目に飛び込んでくる店内レイアウトだ。いや、彼女の存在感がそう魅せているのか…。

 

「よぐ来た!」といつもの通りに出迎える。おしぼりをぽん。
「ビールでいいが?」黙って頷き、運ばれてきたビールで寿賀婆と乾杯。お通しの漬物に箸を延ばす。
「寿賀婆の漬物は重石を使わない。だからシャキシャキしてるんだ」寿賀婆の料理豆知識こそ入るが、いつものルーティン。そこはかとない緊張感と安心感が同居する、入った者しか感じ得ないスガワールドに支配されるのだ。

 

スガばあ05

 

どんなことにも動じないように見える寿賀婆だが、彼女の昔話の随所から、平坦ではない道のりが読み取れる。

 

まだ10代のころに農家に嫁いだという寿賀婆。旦那さんこそ優しかったがご両親は厳しく、農家の嫁として朝から晩まで働きづめ。また子宝にもなかなか恵まれず、ついに過労とストレスで体調を崩してしまった。医者に「しばらく休ませるように」と言われると、ご両親は寿賀婆の実家に連絡を取り、娘を引き取るように伝えたという。

 

時代がそうさせたのか、若すぎる二人には抵抗することは許されなかった。迎えに来た寿賀婆のお父さんは、すでに玄関に積まれていた荷物を、何も言わずに実家へ運んだという。 「悔しかったし、傷ついたよ」と当時を振りかえる寿賀婆の表情は晴れやかだ。

 

「あの人たちがあのとき、そうしてくれたことで今の私がある。今では感謝しているよ。いつか見返してやろうって思ったことが、今の私を作っている。そんな悔しい思いをしていなかったら、今頃どうなっていたか」と笑う。

 

寿賀婆は、実家に戻された数年後、花輪のキャバレー「ミカド」で働き始める。それがこの道に入ったきっかけだ。紆余曲折を経て、一時は自分の店を3店舗も持つまでになった。今まで通ってきた道は、すべて起きたことが絡み合って造られる。辛い思い、嫌な思いを経てきたからたくましくもあり、優しさや思いやりに溢れた今がある。

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今回の一言はこれにしよう。

 

「今日より若い私はいない。だから精一杯生きる」。
めちゃめちゃポジティブ。80歳を過ぎてもなお、会うたびにパワーアップしている寿賀婆の原動力はきっとここにある。