恋する鹿角新聞で連載中の人気コラム「寿賀婆に聞け!」。取材陣がスナック寿賀を訪れ、御年80歳を過ぎた寿賀婆(本名:浅石シガさん)に話を伺っています。
※寿賀婆についてはこちらもご覧ください。
今回のお題「なぜ寿賀婆はいつも、お茶目なのか。」
「よぐ来た!」
夏真っ盛りのある日、この日は大人数で訪れたため、カウンターではなく小上がりに通された。テーブルにはここに知人を連れてきたら食べさせたい、なじみの田舎料理が並んでいた。
ビールで乾杯し、早速料理に箸を伸ばすやいなや、間髪入れずに寿賀婆トークが始まる。「今朝からみずの皮引いて、指真っ黒だぁ」とか「わらびは一本ずつ筋入れてるんだ。こうすれば、味が染み込むべぇ」とか、どれだけその料理に寿賀婆の愛情がこもっているのかを語り出す。今日は初めての客人もいるからか、少し色っぽい気がする寿賀婆。
「今年はいつもよりも早く、みずのたまっこ(みずのコブ)もでてきた。食べるか? 竿と玉とどっち好きだ?」
その緩急のあるギリギリトークに面食らう我々を見て、寿賀婆は嬉しそうにけたけたと笑っている。この茶目っ気たっぷりの寿賀婆の笑顔に、毎回やられてしまうのだ。
今でこそお茶目さが爆発している寿賀婆だが、かつてはなかなかの修羅場を切り抜けてきた。前回、寿賀婆がキャバレーで働き始めた話に触れたが、こんなエピソードもある。
「ミカド」はとても繁盛した花輪のキャバレーだった。そこで寿賀婆は「みどり」という源氏名で働いていたが、しばらくして隣町の小坂町にも姉妹店を出すことが決まり、オーナーに「ママをやってくれないか」と頼まれ、小坂町に行くことになったという。
その「ミカド」の姉妹店は小坂でももちろん繁盛したが、そのことを快く思わない〈怖いお兄さんたち〉からある日、寿賀婆こと「みどりママ」は呼び出されたそうだ。場所はお寿司屋。席についてすぐに「お酌をしろ」と怖いお兄さん。女性をまるで奴隷のように扱う高圧的なその姿勢に、みどりママは、キレた。
「呼び出したのはそちらだ。酒を注ぐのはそちらじゃないのか!」と怖いお兄さんたちを圧倒してやった。
「そこで注いだら、ずっと理由なく従うことになる。筋の通らないことは大嫌いだ」。
オトコ顔負けの凛々しさだ。今ある「お茶目な寿賀婆」は、そんな硬派な生き方の上に成り立っている。何よりもお客を喜ばせるために手を抜かないという心意気がある。明日もわらびに一本一本筋を入れるだろう。